2022年10月18日火曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます」10

台風に襲われてチェンマイは水びたしだった。
足がすっかり水の中に浸るくらいの道路を、水をかき分けて進んだ。
ふと見ると、ふだん見慣れたチャンブアック門の壁が大幅に崩れて通行止めになっていた。




古い由緒ある城壁なのに、なんとなく残念に思った。

教室では先生がふだん通り待っていた。
激しく雨が打つ音を聞きながら、代名詞の勉強が始まった。
最初に人の名前や物の名前が出て、その後同じ人や物を指す時はhe や it などの代名詞を必ず使う、という規則が英語にはあるという。
そして代名詞は、主語の位置に来る時や、動詞の後に来る時は
he- his- him- his- himself 
のように形を変える。
だから、代名詞の表は必ず覚える必要があるという。

マジッ! 覚えるの?

と一瞬思った。
が、無理やり覚えなくてもいいそうだ。
代名詞の表を見ながら練習している内に、自然と頭に入ってくるのだそうだ。
ならば、覚えるのは止めよう。
無理は禁物、自然がいい。



先生の感想:
代名詞をどう使うか説明しましたが、今日の授業の最後に
「l , my , me , mine の使い方は分かったけど、myselfや himself はどういう場合に使うんですか」
と質問がココさんから出ましたね。
こういう質問が出るようになったということは、一歩前進したということです。
受け身の勉強ではなく、自分で考えながら授業を受けていないと、なかなかこういう質問は出てきません。
集中している証拠だと思います。
この質問に座布団1枚を差し上げます。







ココの感想:
英語を勉強し始めて、はじめてほめられた。
ちょっといい気分になった。
myselfとか himself という言葉をどういう場合に使うのか聞いたらほめられたのだが、先生はそのときこんな言葉を教えてくれた。

『私は私自身の記録である。』

寺山修司という詩人のことばなんだそうだ。
人は生きながら、さまざまな苦しみや悲しみ、挫折や裏切り、そしてほんのわずかな喜びを味わいながら生きている。
そういう経験にむだなものはなく、みんな今の私自身の中に記録され、現在の私を作っている。
そういう意味ではないか、と言っていた。
『あなたはあなた自身の記録である』ではなく、
『私は私自身の記録である』
と表現したところが謙虚でいいと先生は言っていた。
それからもう一つ。

Man makes himself.
人間は自分自身をつくる

ということばも教えてくれた。
カエルの子は、いくらガンバってもカエルにしかなれない。おたまじゃくしはやはりカエル以外に生きる道はない。
でも、人の子は違う。
なろうと思えば、オオカミの子にもなれる。すばらしい人にもなれる。
人はそういう可能性を秘めた存在なのだ、という意味なのだという。
チャイルドという歴史家のことばだという。
この2つのことばを授業が終わったあと先生が教えとくれた時、なんだかからだの中から熱いものが吹き上げてきて、泣きそうになってしまった。
このことばは心の底に響いた。
なぜだろう。
ちょっと考えてみようかな。

考え疲れて、甘いものが食べたくなった。
気分なおしに最近できた和菓子屋に寄ってみた。
入口はさり気なくおしゃれで、感じがよかった。
中に入ると意外に広々として和風感がいっぱいだった。





開店したてのせいか、お客は少ない。
邸内に川が流れていて、川から白煙が立ち昇っている。





席の片隅にはひな壇が飾ってあり、タイ人のカップルが記念写真を撮っていた。





しばらくして注文した抹茶アイスがお盆にのってきた。
抹茶アイスの横には、小豆のあんこ玉が添えられている。
これを見て、期待は高まる。





確かに抹茶アイスだ。
口の中にしびれるような冷たさと、とろけるような甘さが広がる。
ついであんこ餅に向かう。
一口であんこ餅は口に収まる。
残りの和菓子もバクリと平らげる。
軽やかな喉ごしである。
でも、軽やかすぎないか。
あまりにもあっけなく消えてしまったせいか、舌が甘さにまだまだ飢えているのだ。
もう少し食べたい。
満ちたりたいのだ、私としては。
タイ人の作る和風料理は、味はまずまずだが、私的には量が物足りない感じがする。
もっと食べたかったなぁ、というほのかな期待は、水けむりに見え隠れする川の中にいつしか消えていった。




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