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2022年10月21日金曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます。」12

今日は副詞を勉強した。
授業の始めに先生が形容詞について説明してくれた。
「形容詞は名詞を修飾する(かざる)語です。」
ボードの例文を見た。
フムフム、納得した。
それから先生が聞いた。
「では、副詞はどんな語を修飾しますか。」
ボードの例文を見て、恐る恐る答えた。
「ど、動詞かな?」
先生の反応は
ブー!
違うらしい。
「副詞は動詞だけではありません。形容詞でも、副詞ても、なんでも修飾します。つまり、『その他すべて』が正解です。
副詞というのは、何でも修飾するオールラウンドプレーヤーなんだ。
この説明で、副詞のイメージがかなりはっきりした。



先生の感想:
副詞は形容詞に比べると、かなりやっかいです。
副詞は普通文の終わりにおきますが、文の途中に入れる副詞もあります。
副詞を置く位置で迷いますね。
でも、心配入りません。
そういった悩みは、もうなくなります。
今日教えた表を知っていると、簡単にそれぞれの副詞の位置が分かります。
これがTES で文法を勉強するメリットです。
TES では、これまで学校で暗記させられていた文法の内容を論理的に整理して、スッキリハッキリ分かるようにしました。
つまり、最短距離で文法がしっかり使えるようになるシステムを開発しました。
文法嫌いの人でも、安心してここで文法を学んでから海外に留学してください。
英語力の伸びが早くなります。

今日は少し宣伝をさせてもらいました。
お後がよろしいようで。





ココの感想:
先生から
「この間教えた詩人の言葉と、歴史家の言葉の意味は分かりましたか?」
と聞かれた。
「ハッキリじゃないけれど、なんとなく分かりました。」
と答えたら、新しい言葉をまた教えてくれた。

自分こそ、自分自身の先生なのです。
自分以外にどこに先生がいますか。

私が私の先生!?
ど、どういう意味ですか?
と聞こうとしたら、先生はボードに3人の言葉を書いてくれた。

『私は私自身の記録である。』
寺山修司

『人間は自分自身をつくる。』
チャイルド

『私は私自身の先生である。』

「最後の言葉は、2000年以上前の仏陀の言葉だと言われています。」
「えっ、あ、あの仏教をつくったブッダですか。」
「はい、そうです。
この3つの言葉には共通しているものが1つあります。
それは何でしょうか。」
私は息を飲んで、ボードを見つかめた。
先生も何も言わない。

じっと考えているうちに、少し見えてきたものがある。

「あせらずにじっくりと、しばらくこの言葉を温めてください。
温めている内に、この言葉はあな
たの中で命を受け、成長し孵化します。
その時、また話し合いましょう。」

フゥー。
息を止めて考えていたみたいだ。
先生から、大きな宿題をもらったように感じた。






2022年10月20日木曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます」11

今日はit の勉強をした。
it は「それは」という意味だけかと思っていたら、「漠然としたその場の雰囲気」という意味も含んでいるのだという。
「暑いです/寒いです」や、「夏です/秋です」にもit を使い、曜日や距離にもit を使うのだと聞いて、少しビックリした。
「そう言えば時刻を聞く時も、it を使いますね。」
と聞いたら、時刻のit もこの仲間だという。
フムフム、it は大活躍じゃん。
it をなめてはいけない、心に誓った。



先生の感想:
今日はit を勉強しましたが、it の守備範囲がどんどん広がっていくので、目を丸くしていましたね。
時刻だけでなく、寒暖、曜日、季節とit の守備範囲は拡大しましたが、勉強が進むとit はさらに守備範囲をひろげます。
it と再会する日を、楽しみにしていてください。







毎朝散歩がてら近くの朝市に行って、お粥を食べることにしている。
このお粥がメッチャおいしい。
チャンブアック門の近くにチャンブアック市場があり、その沿道に朝だけ屋台が並んでいる。
野菜や魚、パンや衣類を売っている店が雑然と並んでいる。
その一角にお粥の店がある。
おじさんとおばさんの2人で仲良く屋台を切り盛りしている。
「切り盛り」と言っても、お客はそれほど多くはない。








ほぼ毎日食べに行っているので、すっかり顔なじみになった。
私の顔が見えると、おばさんはどんぶりを取って盛りつけを始める。










お粥を入れ、ネギを加え、胡椒と白菜を盛る。


そして朝市の人の動きを見ながら、アツアツのお粥を楽しむ。
これ以上の朝食を想像することは、今の私にはできない。



これでお値段は20B(約80円)。
信じられないコストパフォーマンスだね。



2022年10月18日火曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます」10

台風に襲われてチェンマイは水びたしだった。
足がすっかり水の中に浸るくらいの道路を、水をかき分けて進んだ。
ふと見ると、ふだん見慣れたチャンブアック門の壁が大幅に崩れて通行止めになっていた。




古い由緒ある城壁なのに、なんとなく残念に思った。

教室では先生がふだん通り待っていた。
激しく雨が打つ音を聞きながら、代名詞の勉強が始まった。
最初に人の名前や物の名前が出て、その後同じ人や物を指す時はhe や it などの代名詞を必ず使う、という規則が英語にはあるという。
そして代名詞は、主語の位置に来る時や、動詞の後に来る時は
he- his- him- his- himself 
のように形を変える。
だから、代名詞の表は必ず覚える必要があるという。

マジッ! 覚えるの?

と一瞬思った。
が、無理やり覚えなくてもいいそうだ。
代名詞の表を見ながら練習している内に、自然と頭に入ってくるのだそうだ。
ならば、覚えるのは止めよう。
無理は禁物、自然がいい。



先生の感想:
代名詞をどう使うか説明しましたが、今日の授業の最後に
「l , my , me , mine の使い方は分かったけど、myselfや himself はどういう場合に使うんですか」
と質問がココさんから出ましたね。
こういう質問が出るようになったということは、一歩前進したということです。
受け身の勉強ではなく、自分で考えながら授業を受けていないと、なかなかこういう質問は出てきません。
集中している証拠だと思います。
この質問に座布団1枚を差し上げます。







ココの感想:
英語を勉強し始めて、はじめてほめられた。
ちょっといい気分になった。
myselfとか himself という言葉をどういう場合に使うのか聞いたらほめられたのだが、先生はそのときこんな言葉を教えてくれた。

『私は私自身の記録である。』

寺山修司という詩人のことばなんだそうだ。
人は生きながら、さまざまな苦しみや悲しみ、挫折や裏切り、そしてほんのわずかな喜びを味わいながら生きている。
そういう経験にむだなものはなく、みんな今の私自身の中に記録され、現在の私を作っている。
そういう意味ではないか、と言っていた。
『あなたはあなた自身の記録である』ではなく、
『私は私自身の記録である』
と表現したところが謙虚でいいと先生は言っていた。
それからもう一つ。

Man makes himself.
人間は自分自身をつくる

ということばも教えてくれた。
カエルの子は、いくらガンバってもカエルにしかなれない。おたまじゃくしはやはりカエル以外に生きる道はない。
でも、人の子は違う。
なろうと思えば、オオカミの子にもなれる。すばらしい人にもなれる。
人はそういう可能性を秘めた存在なのだ、という意味なのだという。
チャイルドという歴史家のことばだという。
この2つのことばを授業が終わったあと先生が教えとくれた時、なんだかからだの中から熱いものが吹き上げてきて、泣きそうになってしまった。
このことばは心の底に響いた。
なぜだろう。
ちょっと考えてみようかな。

考え疲れて、甘いものが食べたくなった。
気分なおしに最近できた和菓子屋に寄ってみた。
入口はさり気なくおしゃれで、感じがよかった。
中に入ると意外に広々として和風感がいっぱいだった。





開店したてのせいか、お客は少ない。
邸内に川が流れていて、川から白煙が立ち昇っている。





席の片隅にはひな壇が飾ってあり、タイ人のカップルが記念写真を撮っていた。





しばらくして注文した抹茶アイスがお盆にのってきた。
抹茶アイスの横には、小豆のあんこ玉が添えられている。
これを見て、期待は高まる。





確かに抹茶アイスだ。
口の中にしびれるような冷たさと、とろけるような甘さが広がる。
ついであんこ餅に向かう。
一口であんこ餅は口に収まる。
残りの和菓子もバクリと平らげる。
軽やかな喉ごしである。
でも、軽やかすぎないか。
あまりにもあっけなく消えてしまったせいか、舌が甘さにまだまだ飢えているのだ。
もう少し食べたい。
満ちたりたいのだ、私としては。
タイ人の作る和風料理は、味はまずまずだが、私的には量が物足りない感じがする。
もっと食べたかったなぁ、というほのかな期待は、水けむりに見え隠れする川の中にいつしか消えていった。




2022年10月16日日曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます。」9

今日はcan の勉強をした。
カンタン、カンタンと思っていたら、やはりつまづいた。
日本語は「~できる」という言葉を使わない場合があるんだって。
泳ぐ       →泳げる
書く       →書ける
話す       →話せる
飲む        →飲める

なるほど、「~れる,~られる」という言い方もあったな、と思った。
さらに例外があるという。

(例外)
勉強する→勉強できる

ウ~ン、これは英語の勉強というより、日本語の勉強だね。
英文法を勉強していると、日本語の言い方をどのように英語で言うか迷うことがけっこうある。
それは、英語より日本語のほうが複雑な言い方がたくさんあるせいなんだって。
そうか、英語より日本語のほうが複雑なのか!
ちょっと自信っぽいものが出てきたかな、なんとなく?


先生:
英語ではcan ~て表現する動作は、日本語では「~できる」という形だけでなく、「~れる/~られる」という言い方を使う場合があります。

「あなた、英語話せるの?」

というように、~れる, ~られるのほうが多いかもしれません。
さらにcan には、「~してもいいですか」という許可を求める意味もあります。
can って、意外に深いでしょう?





ココの感想:
今日は集中できたかな?
内容が分かりやすかったせいか、最後まで集中が途切れなかった。
その分、お腹もすいた。
先日ウドンで空腹を癒すことに失敗してしまった。
問題はスープの甘さだということに気づいた。
そこで汁のない日本料理をさがしたら、あった!
トンカツ
トンカツなら甘いスープの心配はいらないはず。
勇んで店に入っていった。








「営業中」という派手な赤ちょうちんの間をくぐり抜けると、広々とした店内にお客は私一人。
大丈夫かなぁ、少し心配になる。
店内は日本のグッズがいっぱいで、にぎやかなお祭りの最中みたいだ。


しばらくすると、お目当てのトンカツ君たちがお盆にきちんと並んでやって来た。
待ってました、トンカツ君!
期待を裏切らないでね。







トンカツ君を囲んで、ゴマや茶碗蒸し、お新香の数々が後を固め、コンモリとした土まんじゅうのようなご飯が「はやく食べて」とばかりに睨んでいる。
早速味噌汁で潤した口に、トンカツを一切れ。
この最初の出会いが勝負だ。
ウメェー
肉厚なトンカツは柔らかく、軽く噛むだけでノドを通り抜ける。
カラシもいい仕事をしていて、トンカツのほのかな甘さを高めている。
問題は味噌汁だ。
熱い味噌汁を香りとともにすする。
完璧!
味噌汁の中の豆腐は爽やかさを演出し、トンカツの脂っぽさを消している。
大満足のトンカツ定食だった。
もう少し食べたいな、と思って携帯をいじっていたら、この店のホームページに、ご飯と味噌汁のお代わりをしたというコメントがあった。
恐る恐るママさんに聞いてみる。
にこやかにOK サイン。
ヤッター!
無料で半ライスと味噌汁と、キウリのお新香を恥じらいもなくお代わりした。
食べ終わると、さすがにちょっとベルトがきつくなった。
素知らぬふりをしてベルトをゆるめ、晩飯にお腹いっぱいの幸せを感じた。


2022年9月28日水曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます」8

今日は現在進行形を勉強した。 
現在進行形というのは「~している」と動作がまだ続いている、という意味だと思っていたら、それだけではないという。
現在進行形を使って未来を表す場合があると聞いてビックリした。
未来!?
「これからどこに行くの?」
と聞いたりするときは、do/does を使わないで、現在進行形で聞くのだそうだ。
また、
「いま買物に行くところ。」
と答える場合も現在進行形で答えるのだそうだ。
やはり、文法の基本はきちんと習っておく必要があるな、と思った。



先生の感想:
現在進行形は目の前でしていることを聞く場合ももちろんあります。
「そこで何やってるの?」
とか
「今なにしてる?」
と電話で友だちに聞く場合などです。 
でも、現在進行形は未来以外にも、もっと広い意味があります。
「来年イタリアで働こうと思って、いまイタリア語を勉強しているの。」
と電話で話しているとします。
この場合、目の前でその動作をしていなくても、「イタリア語を勉強している」は現在進行形を使います。
こう考えると、現在進行形の守備範囲はかなり広がってきますね。






ココの感想:
進行形ってけっこう奥が深いんだ、と感じた。
考えれば考えるほど、ふーんとうなずくことが多かった。
うなずけばうなずくほど、お腹がすいた。
タイ料理ばかり外食で食べていたので、日本の料理がなんとなく恋しくなってきた。
ワットプラッシンの前の通りをぶらぶらと物欲しそうに歩いていたら、あった。
ウドン屋がありました!!
これこそ、日本料理。
店の前にたたずんでいると、お店のお兄さんが手際よく手打ち麺を作っている。
ますます期待がふくらむではないか、お腹がグーグーなるではないか。





メニューを見ると、ウドン料理がいっぱいある。
一番安い釜焼きウドンで180バーツ(400円)。タイ料理で一食50バーツ(200円)と比べると、いいお値段だ。
でもおいしけりゃ、いいか。
中に入ると、日本人は0人。
欧米人とタイ人女性だけ。
女店員ばかりが多い。
ちょっとこのパターンは心配だ。





しばらくして釜焼きウドンが来た。
ウドンの量が少ないかな…






まず麺だけを味わう。
手打ちウドンだけあって、コシがしっかりしていていい麺だ。
麺つゆに入れて、食べてみる。
心配した通りだった。
麺つゆが甘い(!)
甘い麺つゆがせっかくの手打ち麺のおいしさを打ち消している。
そこで慌てて薬味を投入する。
ワサビと生姜を目一杯入れる。
そして恐る恐る一口食べてみる。
うう~ん、残念。
ワサビや生姜は、麺つゆの甘みに押されてタジタジとなっている。
ガンバレ、ワサビと生姜!
ワサビをお代わりした。
それでも麺つゆに勝てない。
勝てないどころか、麺つゆの甘さとワサビの辛さが混じりあって、変な味になってしまった。
調和していなくて、お互い押しのけあっているのだ。
何とか全部のウドンを食べきった。
食べ終わって、かえってお腹がすくのを感じた。
悔しい。麺つゆめ。
今度行く時は、甘くない麺つゆ持参で行こう。
と空腹を抱えながら、悔し涙をこらえた。



2022年9月26日月曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます。」7

今日は形容詞を勉強した。
形容詞と言われてもピンと来なかったけれど、
古い、かわいい、うまい
など言葉の後に「~い」がくる語とか
きれいな、さわやかな、健康的な
のように言葉の後に「~な」がつく語だと説明されて、「なるほどこういう言葉を形容詞というのか」と納得した。
形容詞は一語で使う場合と、名詞の前に置き、名詞を修飾する(かざる)場合の2通りがあるという。
例えば
This book is good.
 (この本はいいてす)
は最初の場合だし、
This is a good book. 
(これはいい本です)
はあとの場合だという。
「フム、フム、そういうことか」とうなづいていたら、第一の場合から第二の場合へ、またはその逆の練習をたくさんやらされた。
おかげで、形容詞の英文にちょっと自信がついたかな?



先生の感想:
今日の形容詞の書き換え練習は、気合が入っていましたね。
最初はおっかなびっくりで、1問ずつチェックをしてもらっていましたが、慣れてくると自然にスラスラとできるようになりました。
また今日から授業の最後に、簡単な日本語の文を見て瞬間的に英語にする「口解き」も始めましたね。
これって英会話に踏み出す大切な第一歩なんです。
がんばりましょう!



ココの感想:
形容詞の書き換えには自信がついたみたいだ。
かなりスラスラと解けて、気分がいい。
初歩的なレベルだから当たり前かもしれないけど、私的には大満足だ。
結局自分が自信を持って勉強できるのが、一番いい環境だと思う。
その点、このTES は私的には合っているみたいだ。
授業中どんな質問も自由にできるし、先生は分かるまで何回でも教えてくれるし。
授業に疲れた時には、勉強を離れていろんな話をしてくれる。
日本の特徴とか、世界の経済とか、歴史の話とか、知らないことばかりでおもしろかった。
そして気がついたら、自分自身を見つめる時間になっていた。
忙しくて、訳がわからず焦って過ごしたこれまでの自分を一度止めて、リセットする時間を持つことはやはり大切だなと感じ始めている。
時間がゆっくりと流れるチェンマイはタイの「特区」だと思う。
でも英語の勉強をしながら立ち止まって自分を振り返る時間を作ってくれるTES は、私にとってチェンマイの心の「特区」になり始めている。





2022年9月17日土曜日

ココの 「ちょっとチェンマイ留学に行ってきます。」6

今日は「複数形」を勉強した。
英語には2種類の名詞(ものの名前)がある。
犬、本、友だちのように1つ2つと数えられる名詞を「加算名詞」という。
これに対し、水、お米やパン、愛など数えられない名詞を「不可算名詞」という。
フム、フム。

加算名詞には基本的に冠詞 aやtheがつくが、不可算名詞には基本的に冠詞はつかない。

フム、フム、フム。
なーるほど、そういうことか。
時々 aもtheもない単語を見かけたが、それは不可算名詞だったのか。
ここまでは分かったぞ。
でも、その後がややっこしかった。

英語でよく間違うのは、実はそのあとだという。
同じ旅行という単語でも、trip(小旅行)や tour (団体旅行)には冠詞 aや the がつくが、travel (旅行)はすべての旅行をまとめて指す総称名詞なので、冠詞はつかない、という。

「ちょ、ちょっと待ってください。ソウショウメイシ?
それって、なに?」
思わず叫んでしまった。

説明を受け例を示されて、なんとなく分かってきたように感じる。
けれど、複数形って思っていたより、なかなか手ごわいぞ。


先生の感想:
可算名詞と不可算名詞の区別はしっかり入りました。
ここまではOK です。
さらに一歩進んだ総称名詞で、少し戸惑いましたね。
でも総称名詞はそんなに数が多くないので、総称名詞の例をボードに書いておきます。
とりあえず、それを覚えてください。







ココの感想:
今日の加算/不可算名詞までは順調だったが、総称名詞でつまづいた。
どれが加算名詞か不可算名詞かは分かってきた。
が、不可算名詞の中で、総称名詞が頻繁に出てくるらしい。
これがやっかいだったが、よく間違う総称名詞を先生が書き出してくれたので、まずはそれを覚えておくことにした。
スッキリしたところで、昨日のギャラリーカフェに足が向かった。
どんな絵があるか、楽しみだ。

今日は暑かったので、アイスコーヒーにした。
ケーキは昨日とは別のを注文してみた。
池の鯉が見えるテーブルで、急いで宿題を終わらせて、階上のギャラリーにはずむように上っていった。





ある、ある。
2階にところ狭しとばかりに大きな絵や、小さな絵が並べられていた。
どこかの宮殿やお寺の絵が目立ったが、その中に昔のチェンマイを描いた絵があった。
昔といっても大昔ではない。
せいぜい15年か20年前に描かれた風景だ。
その風景に惹かれた。
じっと見ていると、絵の中に引き込まれるような強い力を感じる。
立ち止まると、動けなくなる絵がいくつかあった。
昔のチェンマイは、今以上にのどかで懐かしく感じた。
まるで私の育った日本の片田舎の町のような感じだった。
こういうのを、デジャヴュ(既視感)というのかも。










その中で特に気に入ったのは、雨の降る古都チェンマイを描いた絵だった。






日本の雨にはない、この「しぐれ感」は毎日のように体験しているが、それがみごとに描かれている。