『祈りの形』
急峻なモンクトレイル(お坊さんの路) をたどってドイステープ山に登った時のことである。
山頂のドイステープ寺に参詣人をながめていた。
その時、一心不乱に祈る1人の女性に気づいた。
もともとドイステープ寺はタイ屈指の霊山である。
この寺にはさまざまな伝承が語られている。
何かの記念祭には、王族、閣僚がこぞって参列しにきたこもある。
そのためチェンマイ空港は全面利用禁止になったという。
霊験あらたかなドイステープ寺には人が切れ目なく参詣するが、その中でもこの女性の祈りは際立っている。
祈りの姿勢が美しい。
脇が引き締まっている。
一挙手一投足にむだがない。
集中がほかの人とは違っている。
しばらく見とれていた。
花を供える時も、再びもとの位置に戻る時も姿勢は崩れない。
型通りに動く。
祈りの形ができている。
1年や2年ではこの形はできない。
何十年の繰り返しの中から、この形は生まれたのだろう。
以前もとお坊さんだったタイ人からタイ式の礼拝の仕方を教わったことがある。
その際、再三注意されたのは脇を締めることだった。
祈りに気を取られると、脇が甘くなる。
けれどこの女性は私が見つめる小一時間の間、一度も脇が甘くならなかった。
身体全体からあふれでて、一点に向かっている。
美しい祈りの姿を見て、考えた。
祈りは仏の力にすがることを意味する。
しかし祈りを続けていくと、祈り続ける自分の力の強さに気づく。
そしてみずからの願いを自分の力で成就する力に目覚める。
その成就のために、さらに祈り続ける。
タイの仏教の一番美しい姿を学ばせてもらったような一日だった。
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