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2020年3月9日月曜日

Monk’s trail モンク トレイル (ドイステープまで歩いて) written by 米澤先生







チェンマイウォーク

今回はディープなチェンマイを求めてモンクトレイルに挑みます。

どんな山道か、どのくらい疲れるか一切分かりません。
まずはソンテウバスで入口まで向かいます。








朝のチェンマイの清々しい風に送られて、一路山道に向かいます。
彼方に見えてきたのが、モンクトレイルの入口らしい。








赤いソンテウバスのオジサンの声に見送られて、地図に見入る。
一番下の赤と黄色の交わる点が今私達のいる地点らしい。
途中で道を左に曲がり、滝や橋を渡って寺院に至る道。
どんな道か、不安と期待が入り交じる。
いざ行かん、友よ!








東京の高尾山を思わせる平坦な道が続く。
日本の秋山の風情だ。






だが下ばかり見ていることを、チェンマイの山は許してはくれない。
道を遮る木の枝にご注意、ご注意。






生徒さんもまだまだ元気いっぱい。
写真を向けると、笑顔がこぼれる。






ここで小休止。
まだ皆さん、元気溌剌。

でも心なしか、蚊除けの完全装備に身を固めたタク先生に疲労の色が、、、
タク先生、元気出して! 










こわごわと竹の橋を渡る。
この橋を渡れば、お寺はもうすぐだ。







2頭の獅子に迎えられて、階段を登る。






ここのお寺はちょっと普通のタイのお寺とはどこか違っている。
でも、まだ何が違っているか分からない。

階段の両脇に鎮座するのは、まだ悟りに至らない若々しい比丘たちだ。
この寺には、タイ国に仏教が伝わってきた頃の若々しい息吹が感じられる。







階段を登りきったところに座っているのは、男の比丘と女性の信者だ。
女人禁制のお寺で、女性信者の像があるのは珍しい。











本堂に入ると、黒い肌の仏像が迎える。
インド人の仏像か。

そうです。
仏陀の肌は亜熱帯のインドの陽に焼かれて、黒褐色だったに違いない。
以前から思っていたことが仏像になっている。

パラワット寺院の仏陀は、若々しく精悍な顔で彼方を見つめている。
どこまでも澄んだ目で、どこまでも遠くを見つめている。













橋を渡ると石窟寺院がある。
大きな一枚岩を彫り込んで作った寺院には、修行中の阿羅漢が静かに瞑想にしずんでいる。









ふと見ると、阿羅漢の間に小さな小僧が2人座っている。
小僧の前には、子供の好きなオモチャが供えてある。







このお寺は信仰の本当のリアリズムを表現しようとしている、と思う。

あるがままに

あるがままの自分を見つめなさい。
それがまず、仏陀の教えの第一歩。

このお寺が語りかけてくるものは少なくない。






風通しのよい伽藍で汗を冷やしながら、この後どうするか相談する。

このまま下って帰るか、登っ
てドイステープ寺院まで行くか。
疲れてはいたが、全員登って行くことに賛成多数で決定。







疲労から回復してきたタク先生も元気に歩き出す。



そして急な山道を歩くこと15分。
ようやく土産物店やソンテウバスがたむろする山門前に到着する。










さらにここから数百段の階段を登る。
ドイステープとはタイ語で「階段」寺院という意味らしい。
一気にとは行かなかったが、途中一回休んで登りきった。







暑さをものともせず、黄金の仏塔が燦然とそそり立つ。
この仏塔を囲むようにして、周囲を仏像が守っている。











敬虔な信者が祈りを捧げる。





この姿にはいつも胸を打たれる。
タイ仏教を支えている真の力は、この真摯な信仰だと思う。










信者の美しい姿をエメラルドグリーンの仏像も見つめる。








周囲を固める比丘たちの表情がおもしろい。
1人ひとりが全員違う顔をしている。
生き生きしたリアリズムが、ここにはある。
他のタイの寺院に見られるマンネリ化した仏像は、ここには1つもない。



人を見下しているような比丘、細かなミスをチクチクと痛ぶりそうな比丘、毎日しなければならない作務を時々目を盗んでサボリそうな比丘。
見ていると実に興味深い。
実在の人物を模写したのではないかと思われるリアリズムが、ここでも生きている。









回廊を辿っていくと、彼方に妙な比丘が見える。
あれは、何だ。。。








これは見事だ! 
虚空を見上げる比丘。

托鉢中なのだろう。
比丘は空っぽの鉢に手を入れ、悲しそうな目で虚空を見上げている。
その悲しみがヒシヒシと伝わってくる見事な作品だ。

以前鎌倉時代の彫刻家運慶の世親の像を見た時、余りのリアリズムに足がすくんでしまったが、この像は足を立ち止まらせる力がある。



お布施のない日も少なくないはず。
そんな日は何も食べずにひたすら読経に励む。
そんな比丘の切ない姿に心を動かされたタイの人たちは、この比丘に美しい花を捧げて慰めている。
タイの僧侶と在家の民衆との、心温まる触れ合いが感じられる。

タイ仏教の根底に流れるものに、初めて触れた気がする。






この寺院はタイでも有数の聖山に立っている。
十年以上前の祭典の時、タイの王様皇族だけでなく、内閣総理大臣を始め閣僚や高級官僚たちがそろってお祝いに駆けつけてきた。
治安のためチェンマイ空港は閉鎖された。
国の重鎮がこぞって参列するだけの権威を持った寺院、
それがドイステープ寺院なのだ。
そこには黒褐色に肌が焼けた仏像と、托鉢に疲れた比丘に花を捧げる民衆がいる。

様々な思いを残して、ドイステープ寺院を後にする。












空腹を抱えた私たちは、帰りにワットスワンドック寺院の裏手にあるプンプンというベジタリアンレストランに駆けつける。





できて数年のこのレストランは、安くてうまいベジタリアンメニューだという評判のお店になっている。
広々とした簡素な店のテーブルに、おいしいベジタリアン料理が華やかにならんだ。












こうして、ディープなチェンマイを味わう1日が終わろうとしている。






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